今を思う存分生きる

もう21日が目前に迫ってきた。怖い。
やっぱりまだまだどう考えても悲しくてやりきれなくて。それでもだんだんフジの曲が聴けるようになってきているのは志村が亡くなった実感が薄れてきているからだろう。でもそれも會に行ったら事実を受け止めなきゃいけなくなる。故だとか追悼だとか享年だとかそういう単語は志村にはあまりにも似合わない。

実家に帰って、いままで心配掛けたくなかったので母の前で弱音を吐いたことはなかったんだけど初めて自分の心情を話して泣いてしまった。自分でも最近食欲が明らかに落ちていたので痩せてきたかなと思っていたけど、喪服を買いに行って*1試着しているときに全身鏡に映った自分の姿が中高生の時くらいガリガリになっていたのでちょっと引いた。気持ち悪い。体重自体はそこまで落ちていたわけじゃなかったんだけどな。

そんでたまたまBSでやっていた映画「キサラギ」を見て最後に号泣。今見ちゃいけなかったな。前見たときはとにかく笑えた映画だったんだけど設定が今はシャレにならない。母も一緒に見ていて、たぶん自分の考えていることが伝わってしまっていたのでなんだか恥ずかしかった。「ミキちゃんは幸せだったかな。」「こんなにたくさんの人に愛されてたんだから幸せに決まってるよ。」このセリフが重い。

帰りの新幹線でカバンの中に母から手紙が入ってることに気づく。元気になってほしいけど何もしてあげられなくてごめんという内容。私こそ勝手に親元離れて親孝行のひとつもできなくて申し訳ない。母の一番の願いは私が地元に戻ることって分かってるけどそれもしてあげられそうにない。新幹線でまた号泣。たぶん周りの人たち困ってた。こないだも新幹線で号泣した。志村の訃報を知ったのは新幹線だった。自分が親に愛されてるなぁと実感すると同時に、きっと志村も両親から愛されてたんだろうなって考えると更にやりきれなくなる無限ループ。だめだこりゃ。

この気持ちをいつか消化できる日は来るんだろうか。今は全然分からない。世間的に見たらこの年になってこんなことに振り回されてる自分はおかしいと思われるんだろうな。まぁそんなの関係ないけど。とりあえず會には志村に似合うかわいいお花を持って行ってあげようと思う。桜は絶対に入れたい。菊とかいかにもな花は嫌なのでお花屋さんでしっかり相談してこようと思う。手紙も言いたいことは全部ダイちゃんのメールに載せたので書かないつもりだったけど、もしかして志村のご両親に渡ったりするのかなって考えたらやっぱりシンプルな文章でいいから一言書こうと思った。

怖いけど、行かなきゃきっと後悔する。立ち止まって悩むより歩きながら悩んだ方がいいんだ。

*1:何かあったわけではなくバーゲンだったので。前々からいざという時のために買わなきゃとは思っていた。